まみたす読書日記『銀二貫』高田郁

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まみたす読書日記『銀二貫』高田郁

 

夜に読み始めたのは間違いやった🤣

 

眠くなったら寝よう…と思っとったけど、

結局全部読んでしまった!

 

この物語は1778年から始まる。

昔は家事が起きたらどうすることもできず、

多くの被害がでた。

その度に何とか生活をして立ち上がる人々。

 

そして、当時の人々にとって、神様という存在がとても大きいことがわかる。

現代社会では日本人は無宗教だとか、熱心な仏教徒ではない、という意見があるが、私はむしろ日本人こそ、日常の中で自然と神を信じながら生きている民族だと思う。

例えば、自分の家族に何かあったとき、「どうか、無事でありますように」と祈る。テストを受ける時、「いい点数がとれますように」と祈る。祈る、願うという行為は、神様との対話だと私は考える。

祈りや、願いは私にはとても美しいものに感じる。日本人はDNAの中に、祈る、願うが含まれているのだと、強く感じる作品だった。

 

以下、名言集↓

・和助は杖を脇に挟むと、日の出に向かって両の手を合わせる。橋の上のあちこちで皆、同じように止まってお天道さまに手を合わせ頭を垂れていた。決して長い時間ではないが、その日の安全と商売の繁盛を祈る。こうして大坂の町の一日は始まるのであった。

・実を守って違わぬことを信というー「近思録」

・承認が何よりも大事にせなあかんのは、他人さんの自分に対する信用とは違う。暖簾にたいする信用なんや。奉公人が己の信用を守るために実を通して暖簾に傷がつくのんと、己の信用は無うなっても、暖簾に対する信用が揺るがんのと、どっちが商人として真っ当か、よう考えてみ

・「商人にとって一番大事なもんは、信用だす。一遍落とした信用は、なかなか取り返せへんもんだす」
「何せこの不景気やろ。道理を守るより、生き残るので精一杯なんかも知れへんな」

・老松の前に平伏し、根に額を擦り付けて、松吉は一心に祈った。今は、祈ることしか出来なかった。松吉だけではない、境内には、天神さまのご加護を求めて集まった被災者たちが、拝む社殿のない中、思い思いの姿で祈るのだった

・始末、才覚、神信心ーこの三つのうち、どれひとつ欠けたかて店を大きくすることはころか、保ていくことさえ難しい

・人にはそれぞれ決着のつけ方、いうものがある。刀で決着をつけるのはお侍。算盤で決着をつけるのが商人。刀で命の遣い取りして決着をつけるのが侍なら、知恵と才覚とを絞って商いの上で決着をつけるのが商人なんや。お前はんがしようとしたんは刀を振り回すのに似てる。商人にとって一番恥ずかしいのは、決着のつけ方を間違うことなんやで

・せや、昔の嬢さんの面影を重ねて、今のあのおひとを、気の毒やとか可哀想やとか思うのは違う。違うんや

・そうしたこと全てが、今は偶然というよりも、天の配剤に思えた。目には見えない大きな存在に守られ、生かされているのだ。これが和助の言う、大坂商人の大切にする「神信心」なのだとも思う

・銀二貫、天満宮寄進のための銀二貫。仇討ちを売ったという名目で、主人和助から得た銀二貫を、玄武はこの光景を得るために用いてくれた。
ありがたかった。二十九年生きて、全てが報われ、赦されたように思った

・なあ、松吉。一里の道は一歩では行かれへん。けんど一歩一歩、弛まんと歩き続けたら、必ず一里先に辿り着ける。お前はんは、もう歩き出したんや。転んだなら立ち上がったらええ。簡単に諦めたらあかんで

・お前はん、お広さんに縁談のことを相談された時、おてつさんを大事にしてくれる人かどうか、って尋ねたんやて?お広さんはそれを聞いた時、ああ、娘をもろてもらうんやったら、こういう人がええ、て思わはったんやで。それでその足で、縁談を断りに行かはったんや。

・「私と一緒に、一緒に生きとくれやす」
真帆は、自由になった右手を自分の頬に当てた。「こんな顔でも」という声が揺れている。松吉は真帆の右手を外し、自分の掌で真帆の火傷の頬を包んだ。
「何もかも全部、愛しいんだす。愛しいて愛しいて」