まみたす読書日記『山月庵茶会記』葉室麟

f:id:Mamitaaasu:20171003091652j:image

『山月庵茶会記』葉室麟

茶室で繰り広げられる、人々の生き様

茶道で大切にされる、一期一会という考え方

最近、茶道を習い始めた私には
学ぶべきところばかり。

物語を通じて、茶道・武士道・信じるとは何かを考えさせられる一冊。

以下、私の心に響いた言葉
武家に限らず、茶は常に命をかけて飲むものだとわたしは思っております

・文月の点前は涼を楽しむ。風の通り道を慮り、簾や露地の打ち水などに心を配らねばならぬ。さらに暑さの中を訪れた客が茶の前に水を望むかもしれぬ、あるいは、水にひたした冷たい手ぬぐいで汗をぬぐいたいであろうと心配りするところから点前は始まるのだ

茶の湯とはせんじ詰めれば茶を飲み、ひとが和することだ。ひとの和を乱そうとする者は茶人の敵だ。わたしは茶人として敵と戦わねばならぬ

・いや、茶人は千利休様以来、常に世と戦っておる。争いをやめ、茶を飲めと白刃を振りかざす者たちに言い放つ者こそが茶人なのだ

千利休様が茶を点てられたころは戦国の世であった。今日、茶を差し上げた客が明日には命を失い、家が亡びておるかもしれぬ。たったいま、茶を飲むひとも明日は飲めないかもしれぬのだ。利休様にしても、太閤の怒りにふれて、明日の茶を点てることはかなわなかった。
それでも、わたしは茶を点てる。なぜなら、茶を点てる心は、相手に生きて欲しいと願う心だからだ。今日の茶を飲み、明日の茶も飲んで欲しい、と思えばこそ、懸命に茶を点てる。そして、茶を点てるおのれ自身も生きていようと思う

・わたしは、茶とは相手が今日も生きることを願って点てるものだと思う。しかし、それはよく考えてみれば、日々の暮らしの中で妻女が夫に差し出す茶の心と同じだ。
妻も夫や子供に生きよと願い、夫も妻子を生きさせたいと思う。それが天然自然のひとの心だ。茶はその心を表しておるに過ぎぬ

・ひとはどこまでいこうがおのれを偽ることはできぬ。虚言の中にもおのれは出てしまうものだ